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2004 / 6
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pp. null - null
虛構的場所——事件與表敘交錯的探求
作者
葉柳和則(著)
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(日本長崎大學環境科學部副教授)
謝添基(譯)
(淡江大學中文系兼任講師)
葉柳和則(著)
*
日本長崎大學環境科學部副教授
謝添基(譯)
淡江大學中文系兼任講師
中文摘要
如果將再現現實的理論與實踐做為現實主義的廣義定義的話,二十世紀的藝術史可以說就是現實主義批判史。二次大戰後的作家兼思想家馬克思.弗里修所從事的也不外乎此一潮流。弗里修曾經極致地探討了「做為虛構的虛構」的觀念,但是那探討卻不是針對「為藝術而藝術」。吾人對某事的經驗以及將該經驗訴諸他人之間,必然存在著某種困難與可能性,洞察了這個現象,也才能得出虛構存在論場所的結論。弗里修的虛構論以及虛構的文本是單就文學研究的範疇中所題出的相關論述。但是,將它移置於有關「表敘」行為的廣泛論議中時,弗里修的研究所展現的人類學相關問題也就具有了前瞻性。本論文的要旨在於概述二十世紀末人文.社會科學上對事件表敘的論議陷入意識型態現象,並藉由弗里修的虛構論,試圖找出一條突破的出路。
哲學家野家啟一曾將「從『起源』與『結束』觀念所理出特殊的歐洲歷史哲學的終焉」稱為「大文字歷史之死」。但是,這並不意謂「歷史」自身已經消逝。講述超越論的——大文字的歷史之後的「歷史」的唯一場所,也就只有建立在「『表敘』歷史的言語行為所構成的」基礎之上了。野家同時還提倡將個人表敘所構成的歷史視之為「敘事網絡」。
但是,野家的歷史哲學,特別是「對不能充分表敘者則保持沉默」的倡言,受到了高橋哲哉及岡真理等人的強烈批評。對於儘管想努力表敘卻無法予以表敘的經驗,人們仍是執意地想去表敘或想去傾聽。野家的論述強調不經過語言的經驗是不存在的,他的這種存在論且倫理論上的犯錯鄭是被批評的所在。高橋或岡基於文學領域而主張「無法充分表敘者」也可經由語言予以呈現。但是,就像在佛洛依德在論及心靈創傷時就已提到,「無法充分表敘者」乃是事件本身超越是時性層次所致,所以,吾人也只能以虛構的故事予以表敘。
弗里修的美學思想也強調著吾人對「無法充分表敘者」偏要予以表敘的人類學必然性。事實上,在「大文字的歷史」終結後,事件依然層出不窮,而且那些事件都讓每個仁經驗道,那些經驗中也包括了「無法充分表敘者」在內,所以,吾人無法表敘事實的再現。如果有可以予以表敘的,那應該就是「做為虛構的虛構』,也就是「自身不絕地表敘自身所具的虛構性」。同時,超越論歷史既然已不再存在,那些表敘也就只能是「小敘事」了。又由於吾人可以自由地要求再現事實,所以,基於一個個人經驗所成的複數「小敘事」也就可以被編織,並且藉由「敘事網絡」擴展並循環地觸及他人的「我」的表敘。這就可以在歷史記述中確保了「做為虛構的虛構」的存在論場所,而傾聽該表敘既可以成為二十世紀美學理論的歸結處,也同時可以是一種合乎倫理的行為。
英文摘要
現實を再現するための理論と質践を廣義のリアリズムと定義するならば、二〇世紀の藝術の歴史は、リアリズム批判の歴史としてとらえるができる。戦後スイスの作家・思想家マックス・フリッシュの仕事もこうした流れの中にある。フリッシュは、「虚構としての虚構」という考想を極限まで探求しようとした。しかしその探求は、「藝術のための藝術」としてあるのではない。出來事を經驗することと、それを他者に宛てて語ることとの間にある必然と困難と可能性とを見据え續けた果てに、虚ろなるものの存在論的場所が見出されたのである。フリッシュの虚構論および虚構的テクストはこれまで、文學研究の枠組みの中でのみ論じられてきた。しかし、「物語る」という行為についての廣汎な議論の布置の中に移し替えたとき、フリッシュの仕事が人間學レベルで提示していた問題が前景化する。本報告は、出来事の記述をめぐる人文・社會科學の議論が二〇世紀末に陥ったアボリアを概觀し、フリッシュの虚構論を手がかりに、そこからの出口を探ることを課題とする。
哲學者、野家啓ーは、「「起源』と「テロス』とに枠取られた特殊ヨーロッバ的な哲學の終焉」を「大文字の歴史の死」と名づける。しかしそれはもちろん、「歴史」そのものが消滅したということではない。超越論的=大文字の歴史以後に「歴史」を語りうる唯一の場所は、「歴史を『物語る』という言語行為によって構成されると考える」立場の上にしか存在しえない。そして野家は、個々の人間の物語行為によって織りなされるものとしての歴史、すなわち「小さな物語りのネットワーク」を提唱する。
しかし、野家の歴史哲學、とりわけ、「物語りえないものについては沈黙せねばならない」というテーゼはその後、高橋哲哉や岡真理らによる激しい批判にさらされる。いかに語ろうとしても語ることのできぬ經験を、それでも人は語ろうとする。あるいはそれに耳を傾けようとする。野家の議論は、言葉へともたらされなかった經験を、存在しなかったものとするという存在論的かつ倫理的な誤りを犯しているとされるのである。高橋や岡は、「語りえないもの」を言葉へともたらす可能性を文學の中に見出そうとしている。だが、フロイトがトラウマをめぐる議論の中で明らかにしたように、「語りえないもの」は事實性のレベルを超えた出來事に由來する。それゆえ、それは虚構の物語としてか語りえない。
フリッシュの美學思想の核心もまた、「語りえぬもの」をそれでもなお語らずにはいられないという人間學的必然にある。「大文字の歴史」の死の後も出來事は生じ續ける。そして出來事は個々の人間において經験されるのだが、その經験は「語りえぬもの」を内包しているが故に、事實の再現としては語りえない。語りうるとすれば、それは「虚構としての虚構」つまり「自らが虚ろなるものであることを自ら絶えず指し示す語り」であるより他ない。そして超越論的歴史などもはや存在しない以上、それは「小さな物語」としてしかありえない。しかし、事實の再現という要請から自由であるが故に、一人の人間の經験をめぐる複数の「小さな物語」として紡ぎ出すことが可能であり、「小さな物語りのネットワーク」を介して他の「私」による語りへも開かれ、リンクされている。このようにして、「虚構としての虚構」の存在論的場所を歴史記述の中に確保し、そこでの語りに耳を傾けることは、二〇世紀な美學の論理的歸結であると同時に倫理的行 為でもあるのである。