10
/
2004 / 6
/
pp. null - null
有關強制押解到長崎的中國人的問題
63
作者
高實康稔(著) *
(日本長崎大學環境科學部教授)
張宗彧(譯)
(日本長崎大學環境科學部四年級學生)
謝添基(譯)
(淡江大學中文系兼任講師)
高實康稔(著) *
日本長崎大學環境科學部教授
張宗彧(譯)
日本長崎大學環境科學部四年級學生
謝添基(譯)
淡江大學中文系兼任講師
中文摘要
日本在第二次世界大戰期間因日本國內的軍事需要而強行徵調了約四萬名中國人,並對他們施以過度殘酷的長時間勞動,導致營養不良、拷問、意外事故而造成約七萬人死亡。對該事件應付責任的是日本政府以及35個企業團體。此一問題至1990年代才得以表面化,並在日本各地相繼被起訴,但是,礙於「國家無答責論」與民法的卸除,在司法判決方面(一審判決)即出現了被害者全面敗訴或一部勝訴(只企業有罪)的現狀。長崎縣內約有千人被帶往四個炭坑,強制他們勞動的是三菱鑛業與日鉄鑛業二家公司。2003年7月倖存者與遺族們以日本國及三菱會社為對象提起損害賠償請求訴訟。本論文不僅站在戰後補償法的角度,更以認識歷史的態度為立足點,基於對於過去5年來所做的實態調查以解明以下的諸問題外,也同時對包括司法在內逃避責任的現狀予以批判性的論述。①強制連行的歷史經緯、②強制連行的實態、③強制勞動的實態、④衣食住的實態、⑤無工資、⑥抵抗事件、⑦原爆犧牲者的存在與相關資料、⑧未發死亡通知給遺族、⑨國家無答責以及民法的卸除規定、⑩與德國戰後補償的比較。
英文摘要
日本は戰時中に約4萬人の中國人を日本國内の軍需産業に強制連行し、過酷な長時間勞動と栄養不良、拷問、事故などにより約7萬人も死に至らしめた。その責任は日本政府と35の企業にある。この問題は1990年代に至ってようやく表面化し、日本各地で提訴が相次いでいるが、國家無答責論と民法の除斥規定が障碍となって司法の判斷(一審判決)は被害者の全面敗訴か一部勝訴(企業のみ有罪)の現状である。長崎縣内には約千人が4炭鑛に連行され、彼等に労働を強制した企業は三菱鑛業と日鉄鑛業の2社であった。2003年7月、幸存者と遺族が日本國と三菱會社を相手に損害賠償請求訴訟を起こすという。本論文は戰後補償の在り方のみならず歴史認識の在り方をも問う視點に立ち、過去5年間の實態調査を基に次の諸點について解明するとともに、司法をも含む責任逃れの現状を批判的に論じたものである。①連行の歴史的經緯、②強制連行の實態、③強制労働の質態、④衣食住の實態、⑤無賃金、⑥抵抗事件、⑦原爆犠牲者の存在と關連文書、⑧遺族への無死亡通知、⑨國家無答責および民法の除斥規定、⑩ドイッの戰後補償との比較。